馬リトリートに参加して、私はやっと自分自身の本質に向き合うことができました。今考えると自分の性格がモロに出て、それを直視しなければならない状況は、乗馬という非日常を通してこそできた貴重な経験だったと思います。
日常生活で人から指摘されたり、また自分で感じるところがあっても、なかなか認められなかった根っこの部分を、馬リトリートではしっかりと見つめることができ、母親にとって本質的な自分を認識することは、とても大切なことであると改めて気付かされました。
もともと私は馬に乗りたいという気持ちや、馬が好きという気持ちが強かったわけではなく、参加には決意が必要でした。しかし「認識できていない自分自身」を理解することは、母親である私にとって、とても大切なことではないかと感じていたのと、馬との接し方と育児(というより母親の心)の共通点を見出した由紀子さんの文章に触れ、「意識できていない自分」が明確になるような気がして参加することにしました。
親の鏡であるわが子に、母親の無意識下の悪い習慣まで刷り込んでしまうのは、下手をすれば命まで縮めてしまうことになります。考え過ぎと思われるかもしれませんが、私は生死の境を経験したことがあり、そのためたとえ母がいなくなっても、しっかりと地に足を付けて生きていける力を、子どもたちに養ってあげたいという思いが人一倍強いのだと思います。
私は由紀子さんの、「わが子に釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」という考えに強く共感しています。そしてそのことを実生活の中でも大事にしているつもりです。ところがそう思ってはいても、様々な情報や環境などに振り回されてしまうことも多々あり、「可動域は広いが軸はブレない母親」であるためのヒントを、この馬リトリートで得られるのではないかという下心も抱いていました。
実際に馬リトリートでは、「意識できていない自分の本質」を馬たちから嫌になるくらい(笑)自覚させられました。特に「考えずに感じる」という、自分では得意だと思い込んでいたことが馬たちが鏡となって、(実はできていなかった)ことをまざまざと見せられ焦りました。
私はその体験から大きく気づいたことがありました。それは「(すでにやり方が解かっているから)考えずにできていただけ」ということでした。「感じる」という、言うなれば野生の感覚を働かせることを再確認したり学ぶことは、現代で生きる人間にとても大切なことと思います。私自身、頭で理解することばかりに意識が向いてしまい、心で感じることが疎かになっていました。得意気にブルース・リーの言葉、「考えるな、感じろ!」ができていると思っている場合ではなく、馬と対峙する現場では、常に自分に”Don’t think, Feeeeeeel!”と言い聞かせる必要がありました。
では馬リトリートでは実際に、「可動域は広いが軸はブレない母親」であるためのヒントを得る事はできたのか?その答えは動じない姿勢の保ち方、そして野生の勘を働かせることの大切さを体感するなど、馬レッスンからはもちろん、ヨガや何気ない話の中からも得ることが出来ました。
馬レッスンの中で特に心に残ったのは、由紀子さんの「少しのことでもコレクトしたらリリースする」という言葉です。子どものことで言えば、子どもが理解したことを小さなことで気付き認めてあげるということです。そのことは馬リトリートの後、早速実行しています。北海道での共同生活や馬レッスン等でかなり成長したこともあり、娘はより一層たのもしくなっています!私が彼女を認めてあげることで、娘から私に対する信頼感も見て取ることができ、馬リトリートから帰って来てから、母子関係がより強く結ばれた気がします。正に「子は親の鏡」ということを実感しています。
最後に、由紀子さんとの出会いはもちろん、みなさんと出会えたことを心から有難く思っています。馬リトリートで出会えた人生の先輩、子育ての同志に乾杯です!!