馬が鏡となって、これまで気付かなかったダメな自分に気付く時、何故だか人が鏡になって気付かされる時よりも、自尊心が傷つかずに己を学ぶことができる。
人との関係と違って傷つきながら学ばなくていい。
馬が相手であれば、しがらみもなければ対面を繕う必要もなければ、人と比べて落ち込む必要がないからだと思う。馬だけを視野に入れていて、馬との関係の中で自分の内面を学んでいくのは、己の学びをしつつ同時に癒されるという2つのことが得られる。
だけれども普通に生きてたら毎日馬がいるわけではないので、年中馬に助けてもらうことはできない。とすれば馬のような人がそばにいてくれたらいい?
馬のように寄り添ってくれる人が、自分に自信がなくなった時や寂しい時に「本当の自分を思い出してごらん。本当の自分ではない偽りの自分を装わなくたって安全だから大丈夫だよ。」と言ってくれる人がいたらいい?
ところが結婚していたり仲の良い彼氏がいたって、そこまで分かってくれる人ばかりではないし、相手は相手で自分の問題を抱えていたりする。お互いの無意識にある問題が同時に浮上した時などは、双方して相手を思いやる気持ちの余裕などなくなるのが人の常。
ではどうしたらいいのだろう。
自分は十分ではないと感じた時に、自分で自分にできることの一つは、自分を責めて(もっとこうでなくてはいけない)という焦る気持ちを先ずはリセットさせる。
そして心の中の自分への言葉を(十分ではない)から、(もう既にやれることはやって頑張ってきたじゃない?)に、取り敢えずすり替えてみたらどうだろうか。