私は今、何十年もの時間を経て、自分なりに少しずつ蓄積してきた、自分が知っていること、分かること、感じること、経験してきたことを総動員して、家に来てからもうすぐで3ヶ月になる、19歳の女の子の教育係を務めています。
彼女は3ヶ月とかからずに大きく変化しました。いや、変身したと言ってもいいかもしれません。
彼女は前向きに意見を言えるようになり、声が大きくなり、自主的に行動するようになり、目の輝きに好奇心が現れるようになりました。

それは若さ故の脳の可塑性のパワーではないかと思っています。“変わりたい”という意志によって、それが一気に発動し始めたように見えます。
ところが以前は、毎朝馬の世話をするのに(今日は起きれるか?)とヤキモキしながら、私は2階から彼女が起きる音に耳を澄ませ、起きれない時には「自分で決めたことなのだからちゃんとやりなさい」と言った方がいいのか、または黙って何も言わずに、私が朝の馬の世話をしてしまった方がいいのか、彼女が今後社会で生きていくために、彼女にどう教えるべきか考え続けていました。
その時の状態は、(この子はコンビニに勤めてもいつかやっていけなくなるだろう)と思える状態でした。
因みに叱ったら反抗心が生まれるかもしれません。または何も言わずに私がやってしまうのは、受動的に嫌味に陰から攻撃する、意地悪な継母やお姑さんになりさがる様で、そのどちらも得策とは思えませんでした。
実のところ朝の馬の世話は自分でやってしまった方が楽でした。
そもそも私はテキサスに住んでいた頃から、何年も何十年もその生活をしているので、怪我をしていたり風邪でもひいている時でない限り、朝の作業や馬房掃除は、ちゃちゃっと済ませられる習慣になっています。
それよりも2階でじっとして、ヤキモキさせられながら解決方法を見つけなければいけないのは、まるで自分の羽を抜いて布を織るお鶴のように、かなりエネルギーを消耗することでした。
今朝も私は起きていました。でも2階からキッチンに下りて行かずに、本を読んで待っていました。馬たちは家の納屋にいるので、お世話している時にはゲートを開ける音がし、馬たちの動く音や鼻を鳴らす音で分かります。
彼女が朝の作業を粛々と終わらせていたのは、耳を澄ませていれば分かりました。

その後キッチンでゴゾゴゾしている音が聞こえてきました。(お腹空いてパンでも焼いているのかな?)と思っていたら、最初にバターの匂いがしてきました。その後に甘い匂いが続きました。
フレンチトーストの匂いです。私は静かになるまで待っていました。今日はヤキモキと待っていたのではなく、少しばかりワクワクしながら待っていました。
静かになった頃キッチンに下りて行き、テーブルの上に置かれたものを見て、「フレンチトーストでしょ?」と言うと、「え?なんで分かったのですか?」と聞くので、「バターの匂いとメープルシロップの匂いでフレンチトーストだと思ったの。でもMちゃんが自分でフレンチトーストを作れるとは!」と言い、テーブルについて二人で「いただきます」と食べ始めました。
兎にも角にも「スマホを使っていない」ことで、彼女は大きく変化してきています。
そして私がこうして時々、彼女の話を書いていることを受け入れてくれています。なぜなら世の中にはたくさんの子どもたちが、スマホ依存症になっていると思っているからです。それと同時に彼女は、スマホをやめたら気持ちが良くなることを自分自身の経験で知っているからです。


