息子が子どもの頃、知識だけでなく、同時に身体を使わないと、学ぶことはできないと思ってました。身体を使う最たる所は自然の中。
自由にのびのびと身体を使って考えさせて、好奇心の赴くまま学べる環境を、私と夫は息子に与えられたと思います。
自由とは我慢させないということではないです。自然だったり人間社会だったり、現実に生きる中での自由とは、我慢しないでいいのとは本当に違います。
子どもには自由に生きて欲しいと思うなら、親が子どもに好きなようにさせるのが教育ではなく、寄り添いつつも導いてあげるのが親の役目。
親の役割で重要なことは、子どもが自分の手で自由を掴める、精神と知恵と知識と身体を作ってあげることだと、私は息子が生まれてからそう思って育てました。自分で掴み取った自由であれば、清々しく生きていられます。
与えれば与えるほど、自分で創る能力が減退していくと思います。そっちの方がかわいそうだと思います。
子どものためを思うなら、寄り添いつつも寄り添い過ぎず、子どもの力を信じる。そのためには親が自分を信じる。自分を信じるためにはイメージを抱く。
でももしお母さんが自分に自信がなくて、できるイメージが持てないということであれば、「できなかったらやらなくていいわよ」と言ってしまうかもしれません。
だとしたらそれは子どもの問題ではないです。
子どもに
考えたらできるよ
失敗してもいいからやってごらん
できるまで見守っててあげるから
と言えるためには
自分に
考えたらできるよ
失敗してもいいからやってごらん
できるまで見守っててあげるから
と言えて、一歩ずつ前に進めている自分を肯定できることが大切。そうして得られる気持ちが、心の自由ではないかと思うのでした。
なんらかのスクールをこの土地で展開したいと夢想。
馬の世話をして、畑仕事して、山で遊んで、音楽や芸術に触れて、文学を学んで、国際人になるための教育を受けて、一日中頭と身体フルに使って寝る日々。子どもが数ヶ月寮生活をしている間、親の勉強会もある。
というイメージ。でもそんなこと一人ではできないので、たくさんの協力者たちが空から降ってきて欲しい。